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あおかび~んっ!~でも戦時下のまじめなお話 [紙魚からきいたおはなし]

ドラマ「JIN-仁ー」が終わって一段落のマアカ家。
原作好きだから、家族でしっかりみていました。

ところで、「あおかびん」ってなんだかご存じですか。
これ、ペニシリンのこと・・・になるはずだったものです。


碧素・日本ペニシリン物語 (1978年)

碧素・日本ペニシリン物語 (1978年)

  • 作者: 角田 房子
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 1978/07
  • メディア: -




先の世界大戦のとき、何を考えたのか世間では敵の言葉は使っちゃなんねえって風潮があって、いろいろな物が名前を変えさせられました。
ストライクが「よし」だったりするのはまあ我慢の範疇として、サイダーが「噴出水」ってそりゃなんだと。
まあ、そんなかんじで、医学用語も日本語に変更することになりまして、どんな言葉に言い換えようかといろいろひな形が出されたそうです。
「あおかびん」はその有力候補。
そして第一高等学校の学生さん達に公募してきまったのは、「碧素(へきそ)」でした。
以来、ペニシリンの和名は「碧素」のまま。
「あおかびん」でなくてよかった・・・。
第一高等学校の生徒さん、すばらしい感性です。

ところでこの第一高等学校でも、戦時下には勤労奉仕がありました。
勤労奉仕というと軍需工場での作業とか穴掘りとかのイメージがありますが、この学校では外国語の特訓の後、各医学書の翻訳ガリ版刷りなどをしていました。
そして、もうひとつ。
ペニシリンの開発に必要なアオカビの培養。
正確に言うとちょっと違うのですが、学生達はアオカビの培養や、実験用のマウスの世話などをしていました。
しかし、大戦末期の食料も物資もない時期、学生達は自分たちの食事をマウスに与えてペニシリンの培養と供給をバックアップしました。
栄養失調で倒れそうになりながらできあがったペニシリンは、試作品ながら東京大空襲や原爆投下時の広島などで使用されます。
ペニシリンは戦後アメリカが持ち込んだと思われているようですが、実際には戦中から日本で作られていたんですね。

「JIN-仁ー」を見ながら、人間ってすごいと思った年末でした。


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まげりん

いいね、あおかびん。
なんか円谷の怪獣に出てきそうだよ。
ウルトラマンAっぽくて。
私だったらあおかびん支持だけどな。
by まげりん (2009-12-22 19:43) 

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