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サンタクロースの本名は [紙魚からきいたおはなし]

ファーザー・クリスマス―サンタ・クロースからの手紙

ファーザー・クリスマス―サンタ・クロースからの手紙

  • 作者: J.R.R. トールキン
  • 出版社/メーカー: 評論社
  • 発売日: 2006/10
  • メディア: 単行本

これ、一番大好きなサンタクロース本です。
でも今日はこれとは別のサンタさんのお話。
モデルになった聖ニコラオ司教様のお話です。

聖ニコラオ司教様は西暦270年にパターレという土地に大金持ちの息子として生まれました。
両親を早く亡くし、その莫大な遺産を善業に使おうと決めた聖ニコラオの一番有名なのが、夜中に金貨を放りこんだお話です。
三人の娘をもつ貧しい父親は、娘達を嫁にやることができない哀しみのあまり魔がさして、遊女に売り飛ばそうとしました。
それを知った聖ニコラオは一人の娘を嫁がせるのに十分なお金を、ある晩闇にまぎれてその家に投げ込んでやりました。
次の晩もその次の晩も。
三晩目のこと、父親は寝ずの晩をして、とうとうその恩人が聖ニコラオであることを突き止めました。
聖ニコラオは父親に堅く口止めしましたが、いつしかその善業は世間に知れ渡ることになりました。

別のお話では長女を嫁がせる為に末娘を遊女に、また別のお話では病気の父親を助ける為に娘達が自ら身売りしようとすることになっています。
絵本によっては立派な司教姿の聖ニコラオが描かれていることかありますが、これはまだ一人の信者であった頃のお話です。
聖ニコラオの伝説では「3」という数字が何度も現れます。
肉屋に殺されて腸詰めにされた3人の子供を生き返らせたお話、そして無実の罪で死刑にされそうになった3人の若者を助けたお話。
以上の他に、船乗りを荒海から助ける奇跡を起こしたことから、船乗りや子供達の守護聖人とされています。
聖ニコラオはその後ミラノの大司教となり、ディオクレティアヌス帝の迫害を逃れ、二ケア公会議にも出席しています。
このニケア公会議というのは、神学上の難しいことをいろいろ決めたことでも有名ですが、実は12月25日をクリスマスと決めた会議でもあります。
ほら、なんだかおもしろいでしょう。
サンタクロースがクリスマスを決める会議に出ていたなんて。
聖ニコラオの帰天は341年。
遺体はイタリアのバリ市に安置され、現在も奇跡が続いています。
近年残された遺骨からCGによる顔の復元が行われましたが、がっしりとした男らしい顔立ちでした。

ネタ元の聖人伝は昭和13年発行でもう入手できないとおもいますので、かわりにこちらをご紹介。
やさしい文章で一日につきお一人の聖人を紹介しています。

ミサの前に読む聖人伝

ミサの前に読む聖人伝

  • 作者: C.バリョヌェボ
  • 出版社/メーカー: 中央出版社
  • 発売日: 1990/10
  • メディア: -

よし、これだけ話が整理できれば、孫が出来てもしっかりウンチクたれることができるぞ。
皆様、よいクリスマスをお過ごしくださいませ。


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コメント 4

おきざりスゥ。

トールキンの本なんですね。
<指環物語>もC.S.ルイスの<ナルニア国ものがたり>も共に基督者として読むと無神論というよりゆるい多神教の日本人として読むのでは違うのでしょうね。

そんな敬虔なマアカサンは怒るかしら?
記事みて“3タさん”て言葉が浮かんでしまった^^;

靴下の金貨をモチーフに回文を拵えましたのでTBいたしました。Merry Xmas to you!
by おきざりスゥ。 (2007-12-25 19:06) 

びっけ

こんにちは。
聖ニコラオ(聖ニコラスではなくて、聖ニコラオというところからして、本格的!と感じました)に関するうんちく、お孫さんができても完璧でしょう!!
私が読んだのは、例の絵本だけなので、(^^; 大変、勉強になりました。ありがとうございます!!
特に、聖ニコラオがニケア公会議に出席していたとは!!
歴史って、おもしろいですね!
by びっけ (2007-12-25 20:50) 

マアカ

おきざりスゥ。様>
トールキンのサンタ本は、自分の子供にむけて一年に一話書かれているので、とても愛情深くて大好きです。

TBありがとうございます。
敬虔・・・というか、生まれついてのクリスチャンなので、それほどキリキリはしないですね。
成人してからの信者さんのほうが真面目というか。
妹のまげりんに言わせると、
「生まれつきのクリスチャン、聖書は全部読まないから」
だそうです。
by マアカ (2007-12-26 07:06) 

マアカ

びっけ 様>
聖人のお名前は、昔ながらのカトリックの呼び方と世間一般での読み方では違うようです。
たとえばジャンヌ・ダルクは「アルクの聖ヨハンナ」になります。
多分のどの国の言葉とかで統一されているわけではないのだと思います。
聖ニコラオのニケア公会議でのエピソードして残されているのは、アリウス派との乱闘騒ぎです。
もちろん伝説としてではありますが、何度かアリウス派の論敵をボコボコにしたらしいです。
それが元で司教の座から追われたりもしましたが、マリア様のお告げで回復したとかしないとか。
現代の確立された穏やかな神父様方と違って、いかにも当時の熱烈な信仰の時代を感じさせるお話です。
迫害も拷問も乗り越えた戦う信仰者という感じで好感がもてます。
本当はいけないんですけど、暴力を肯定してまっては。
時代が違うということで、お許しいただきたいと思います。
by マアカ (2007-12-26 07:29) 

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